暗号2000年の歴史を解説した大著

サイモン・シン暗号解読 (上)新潮文庫, 2007.
サイモン・シン暗号解読 (下)新潮文庫, 2007.

本書は, サイエンスライターであるサイモン・シン (Simon Singh) の著書の1つで,
世界中から高い評価を得ている “The Code Book” の邦訳です.

上巻と下巻に分かれており, 上下巻合わせて700ページを超えるボリュームとなっていますが,
邦訳が大変読み易く, スラスラと読み進めることができます.
さらに, 1つ1つの暗号の仕組みが丁寧に解説されているため, 読み応えもあります.

上巻は, 転置式暗号, 単一換字式暗号といった初歩的な暗号に始まり*1,
スコットランド女王メアリー (Mary) に死をもたらしたノーメンクラタ, 単一換字式暗号を発展させた複雑な多表換字式暗号*2,
埋蔵金のありかが示されているという未解読なビール (Beale) 暗号,
そして第2次世界大戦でドイツ軍が用いたエニグマ暗号機など, 暗号の進化史が魅力的なエピソードとともに描かれています.
特に, エニグマ暗号機の解読者であったイギリスの天才数学者アラン・チューリング (Alan Turing) の
人生を描いたドラマ『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』はアカデミー賞の脚色賞を受賞しています.

*1 単一換字式暗号は, カエサルあるいはシーザー (Caesar) 暗号とも言います
*2 ヴィジュネル (Vigenere) 暗号とも言います

下巻は, まず, 言葉の壁を利用した暗号の歴史が描かれています.
第1次世界大戦と第2次世界大戦の通信でそれぞれ用いられた, アメリカ先住民のチョクトー語とナヴァホ語は,
ある者にとっては母語であるがそれを知らない者にとっては全く意味を成さないという単純な事実に基づいていることは,
日常生活の中で知らない外国語の会話が理解できないことと同様である, と容易にイメージでき興味深いです.

ここまでの話では, 暗号とはパズルのようなもので, 暗号解読者の中には科学者が多いけれども,
数学的な要素は殆ど登場しません.
そのため, 現代暗号のように数学の理論で構築された暗号に興味がある読者は,
暗号の仕組みの解説を読み飛ばしても差し支えないと思います.

ここからは, いよいよ現代までの情報化社会の発展に必要不可欠だった公開鍵暗号,
特に素因数分解の困難性を根拠とした RSA 暗号,
そして公開鍵暗号方式を利用した暗号ソフトウェア PGP (Pretty Good Privacy) について,
暗号推進派と暗号反対派の考えとともに描かれており, 考えさせられる内容となっています.

少なくとも私は, 暗号技術が今後の情報化社会の発展に重要な役割を担うと考えている立場です.
例えば, 個人的に興味を持っている仮想通貨の中でも匿名通貨と言われる Zcash, Monero などは*3,
マネーロンダリングに利用される懸念があり世界的に禁止の傾向がありますが,
一方でプライバシーは人権であるという立場もあります.
これはまさに, 上記の暗号推進派と暗号反対派の同様の議論が行われています.

*3 仮想通貨は, 現在では「暗号資産」に呼び名が変更されています

最後に, 近い将来に量子力学の原理に基づいた量子コンピュータが登場し,
現代のありとあらゆる暗号が葬り去られるだろう, という暗号解読の未来が描かれています.
本書が出版されたのは約20年前ですが, 近年 Google, Microsoft, IBM, D-Waveなどによる量子コンピュータの開発が進み,
現代暗号の絶滅が現実的になりつつあります.

一方で, 暗号作成者は量子コンピュータに対抗した暗号を, 同じく量子力学の原理に基づいて作ろうとしています.
これは量子暗号と言われ, 解読不能な暗号です.
もし, 量子暗号が解読されることがあるならば, 量子力学に欠点があることになってしまうほどの衝撃です.
量子暗号 (通信) の開発は, 海外では中国, 日本では東芝などにより開発が進められています.

量子暗号技術は, 暗号作成者と暗号解読者の何世紀にもわたる戦いにピリオドを打ち,
暗号作成者が勝者となる未来が訪れることでしょう.